こんにちは。コールセンター片倉です。これまで世界のトイレの歴史を見てきましたが、今回は日本のトイレの歴史を見ていきたいと思います。それでは今回もどうぞよろしくお願い致します。
【 日本のトイレの歴史 】
日本のトイレは、歴史的にみてもヨーロッパよりも比較的清潔なものだったとされています。その理由として、川の流れが速く分解速度が速かったため、また農耕への利用が進んだためということが考えられています。
日本のトイレの先駆けは川にせり出した桟橋で川に流すというもので、縄文時代の遺跡などで広く見る事ができます。3世紀~4世紀にかけては屋内に川の水を導水したものが使われるようになります。これが「川屋」転じて「厠」になったという説もあります(建物のそばにあるという意味で「側屋」という説もあり)。
平安時代になると、貴族は漆器製の「樋殿」「樋箱」と呼ばれる携帯型トイレを携行するようになります。このトイレに立てかけられた、上に丸い棒のついた板に衣服の裾をかけて用を足していました。この「衣かけ」が転じて「金隠し」になったとされています。
鎌倉時代、二毛作が幕府に奨励されるようになると、堆肥としての利用が始まり、「閑所」(汲み取り式のトイレ)が普及します。
江戸時代、人の排泄物がほぼ堆肥として利用されるようになり、農家の住民が野菜などと排泄物を交換するようになったり、専門の人間が商売を始めるようになります。こうした再利用の手法から、江戸時代、人口が拡大した都市部においても町は清潔に保たれるようになりました。
この堆肥としての利用は明治時代まで続きますが、大正時代になると、安価な化学肥料が普及し始め、堆肥としての利用自体が少なくなってきています。戦後は衛生上の問題から堆肥としての利用が禁止され、山間部や海への廃棄が問題となります。昭和30年ごろには現在の水洗トイレが登場し、徐々に一般家庭へと普及するようになりました。
駆け足で見てきました日本のトイレの歴史でございますが、いかがでしたでしょうか。トイレがあったのは当然のこと、しかしながらなかなかそこを中心に考えることはないと思います。
歴史を経て、日本のトイレはどんどん進歩を続けております。特に近年の技術の進歩は目を見張るものがあります。そんな最新型のトイレのご用命は、日本水道センターまでどうぞ。